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『おいしい格闘技』6

第6回 古瀬美月 『あなたの人生の物語』

2017年5月20日 DEEP JEWELS16 古瀬美月は、新宿FACEのロビーで友人たちに囲まれていた。 みな、笑顔だった。 わたしが、古瀬美月と出会ったのはこの時だった。 おめでとうございます、と声をかけると少し照れ気味に「ありがとうございます」といった。 この日、古瀬はまど花(現・マドレーヌ)を相手に1R1分59秒左ハイキックでKO勝利。 DEEP JEWELSでの初陣を衝撃の勝利で飾ったのだ。 この時、古瀬美月高校2年の春。 波瀾万丈の物語が始まるとは、おそらく古瀬自身も、わたしも思ってもいなかった。 ーー弁当ーー 古瀬の人生にとって大きな存在となる吉田海紀(みのり)さんは、高校の時に知り合った。 海紀さんは、「わたしはどちらかというとクラスの端っこにいて目立たないタイプでした」と話す。 —高校時代の美月選手はどういう女性だったんですか? 「美月の方は友達も多くてクラスの中心にいるイメージでした。周りを巻き込んで明るく楽しい気持ちにさせてくれるというか」 —クラスの中心にいるような美月選手とあまり目立つタイプではなかった海紀さんは、どういうきっかけで交流が始まったんですか? 海紀さんは、いう。 「美月がいきなり飴を持ってわたしのところに来てくれたんです。それから話をするようになって‥」 わたしは古瀬美月に、強気で破天荒な部分とは裏腹にシャイでナイーブなイメージをかつてからもっていた。そのナイーブさが古瀬美月の人間味でもある。 海紀さんは、つづける。 「それまでわたしはお弁当をひとりで食べていたんですが、その日以降美月が来てくれて'一緒に食べようよ〜'て言ってくれたんです。すごく嬉しかったです」 古瀬美月の心の底にあるナイーブさ、優しさが海紀さんの存在に何か感じさせるものがあったのだろう。 古瀬美月は、当時を振り返る。 「小学生の頃にいじめられていた経験があったので、ひとりぼっち、の心細さがめっちゃ分かるんですよね。それで声をかけたっていうのもあります」 —美月選手は、やはり根っこには優しさがありますよね 「でも、特別意味はないですよ(笑)ひとりで食べていたから声をかけたって感じで(笑)」 海紀さんから見た当時の古瀬美月は、クラスのなかで友人が多くて人気者だったというが、古瀬は違う気持ちだったようだ。 「クラスの中心とかそういうのは自分は好きじゃなくて3人くらいで決まったメンバーでご飯食べるのが好きです」 当たり前のことだが、他者から見たイメージと本人の気持ちは違う。 古瀬美月ほど、その違いの距離が幅広い選手はなかなかいないのではないだろうか。 ーー涙ーー 古瀬美月のことですぐに思い浮かべる光景がある。 彼女がプロ4戦目、DEEP JEWELSでは3戦目となったARAMIとの試合。 たしか、大会終了後のことだと思う。多くの観客がロビーには、いた。 試合に敗れた古瀬は人目をはばからずにロビーの隅っこで、号泣していた。 DEEP代表の佐伯繁が、声をかけていた。 「まだまだこれからだから。仕方ないよ」 古瀬は、嗚咽して返事もできない状態だった。 当時のことを、古瀬に訊いた。 「(小学校時代に)いじめられて見返したくて中学で柔道を始めたけどそこでも挫折して‥それでも諦めきれなくて格闘技を始めて‥それなのに'仕方ないよ'なんて言われる始末で‥とにかく悔しかったて気持ちでしたね」 古瀬美月のお母さま、古瀬朱美さんに当時の話をうかがった。 「'柔道をやる'と美月が言ったときは驚きましたね。'そんなにストイックなところがあるんだ'って」 ー美月選手はもともとチアリーディングをやってましたよね。美月選手のSNSで見ました 「あれはわたしが勧めたんです(笑)でも中学で希望に満ちて柔道を始めたことに、わたしは反対はしなかったし嬉しく感じました」 古瀬美月といえば試合のスタイルからして打撃のイメージが強いがもともとは中学時代から柔道をしていたのだ。 ー美月選手は、「柔道で挫折した」とおっしゃってました 「そうですね。悩みながらもいつも笑顔で充実していたと思います。でもだんだん美月の表情が曇ってきて心配はしていました」 古瀬美月は、おそらくもがいていたのだろう。そこで必死に自分の力で掴んだものが'格闘技'だった。 朱美さんにさらに、訊いた。 ー格闘技を始めた頃のことを覚えてますか 「あれは確か美月が高校1年生の11月だったと思います。スポーツジムの体験から戻ってきて表情がキラキラしていたんです」 ーずっと曇っていた表情が明らかに違った? 「そうですね。帰ってきて'格闘技をやりたい'って。生き返った顔をしていたんです」 古瀬美月の弟である古瀬明将さんは、当時を振り返る。 「みーが有名になって色々な人に応援してもらって、俺ももちろんファンでした」 —美月選手の試合に明将さんもよく来られてましたね 「でもあの頃、俺には何も無くて高校も登校拒否状態で‥適当に生きていこうと思ってましたね」 ーー浮遊ーー 格闘家、古瀬美月は勝ちや負けを繰り返しつつ、勝っても負けても感情を爆発させて、格闘技界のなかでも独特のポジションを確立させていった。 その頃のことで思い出すのが、お金がまったくなくて瀕死状態だったりバイト代が入ってすぐにシューズを買って喜んでいる古瀬の姿だ。 わたしはそんな古瀬美月を楽しく見ていた。ハチャメチャなのだ。お金がないと書いていた次の日には思わぬ場所にいたりする。 神出鬼没。 自由奔放。 わたしもさまざまな会場で古瀬とばったりと会うことが多かった。時には名古屋で行われた大会にも突然出没した。 古瀬美月と高校3年間同じクラスでその後も古瀬の心の支えになっている吉田海紀は、当時を振り返る。 「財布は緩かったですね(笑)お金がないというわりにはお菓子をちょこちょこ買ったりゲーセンで遊んだりもしました(笑)」 ーわたしのイメージだとあの頃の美月選手は、ハチャメチャだけど思いっきり楽しんでいるイメージがありますが近くから見ていてどうでしたか? 「部活(柔道)をやっていた頃とは別人でしたね。授業中も板書をするよりノートに練習メニューや昨日の反省点を書いたりしてましたね(笑)」 ー楽しくて仕方ないって感じですね 「そうですね。格闘技が好きで楽しいからやれてるっていうことは、素人のわたしから見てもわかりました」 あの頃のことを、古瀬本人に訊いた。 「うーん‥楽しかったんですかねえ‥」 古瀬の反応はにぶかった。 「平日は学校終わってからジムで練習していたので土日にバイトをしていたんですけど、そうすると身体を休めたり遊ぶ時間がない。でもバイト行かないとお金がない」 —格闘家としてどうかは別として、美月選手は常に格闘家の面と私生活の古瀬美月も見せていたと思います。わたしが見ていた印象では買い物や友達と遊ぶことも思いっきり楽しんでいました。でもそのためにはお金が必要ですもんね 「そうですね。17時からのバイトに15時に家を出ていたので土日にリフレッシュすることがあまりできなくて、とにかくバイトが嫌でしたね(笑)」 古瀬はつづける。 「1試合したらバイト3ヶ月分は入るので、試合が嬉しかったです!」 表裏がない、なんとも古瀬美月らしい答え、だった。 ——復帰—— 2020年11月5日 古瀬美月はSNSにて結婚、妊娠を公に発表した。 古瀬美月の第2幕が始まった。 2021年9月4日 DEEP JEWELS 古瀬は、RIZIN沖縄大会に出場したにっせーとの試合が組まれた。 お互いにRIZINを経験してからの一戦。古瀬にとっては、さまざまな話題があってからの一戦だった。 古瀬美月の高校時代からの親友である吉田海紀さんは、いう。 「わたしはただ応援するだけですがすごく緊張してソワソワしてました(笑)」 古瀬美月のお母さま、朱美さんはいう。 「わたしは緊張しなかったですね。それよりも、また美月のかっこいい姿が観られると思うとワクワクしかなかったです 古瀬に、復帰戦の話を訊いた。 「あの試合(にっせーとの試合)はこれまでで1番練習したつもりだったし、自信がありました」 古瀬は、続ける。 「もちろん、絶対に勝つ気でいました」 ーその自信はどこからきたものなんでしょうか 「体の仕上がりや走り込みのタイム、トレーニングも今までで1番やったので勝つ気満々でした。それまでフィジカルや体重差を気にしないでやっていたんですが、あの試合がきっかけで体重をさらに気を配るようになりました」 ーー波状ーー 古瀬美月の弟、古瀬明将さんはいう。 「みーが格闘家として有名になって、RIZINにも出場して、俺も負けられない、こんなんじゃ終われない、と思いましたね」 ー今まで自暴自棄になっていた気持ちが変わった? 「そうですね。ある意味、俺の人生を1番変えてくれたのはみーかもしれないです」 ー美月選手には、周りに影響を与える不思議な魅力がありますね 「はい。みーが輝いて俺を照らしてくれなかったら自分の道を見つけられなかったです。好きなことをやれて希望を持って生きていられるのは、みーのおかげですね」 古瀬美月による波瀾万丈の人生は、周りの人間たちの心に波状を与えて、いまもなお彼女は多くの人間を魅了させている。 ーー柔道ーー 2022年3月12日 DEEP JEWELS 古瀬美月は、復帰3戦目にして勝利。古林礼名を相手にバックチョークでイッポン。サイドからのパウンドも強烈だった。 湘南で高校時代を過ごし浮遊してきた古瀬美月のわずかに見えた完成形。 試合後、古瀬はケージ内で涙をこらえきれず大粒の涙を流した。 ここ数年、古瀬が涙を流してケージに立つ姿を見ていなかったので懐かしさを感じた。 思えば古瀬美月のJEWELSでのデビュー戦やアマチュア修斗関東、全国、名古屋の会場でも偶然会ったり、ほぼ初めてセコンドする古瀬の姿もたまたま観る機会があった。 古瀬美月にいままでの格闘技キャリアを振り返ってもらった。 古瀬は、いう。 「思えばすごく色々なことがあったな、という感じです(笑)」 古瀬は言葉を選びつつ、つづけた。 それは思わぬ言葉だった。 「少し疲れた、というのが本音ですね」 裏表ない古瀬のストレートな気持ち、だった。 古瀬美月に絶対に訊きたいことがひとつあった。 彼女が卒業の日。 柔道部の道場での写真。 「やっと道場に入ることができました」 と一文が添えられSNSにアップされていた。 わたしはこの言葉の意味を履き違えていたのかもしれない。大変失礼な話だが顧問に叱られて退部させられたのかな、とてっきり思っていた。 が、この言葉の意味がとても深いことに気がついた。 古瀬は、いう。 「部活を辞めて、格闘技でもこれといった戦績を残していなかったので恥ずかしさがあったんですよね」 そのうえで、古瀬美月に最後の質問をした。 —柔道をやってよかったですか? 古瀬は笑顔で、いった。 「出会えてよかったと思ってます!」 ——家族—— 吉田海紀さんは、いう。 「格闘家の美月には、きっといつまでもついていくよって」 「友達としての美月には、おばあちゃんになってもドリンクバーで何時間もお喋りするような仲でいようね」 古瀬朱美さんは、いう 「人生はプラスマイナス0。自分を信じて笑って楽しんで、愛して欲しいです」 「生まれてきてくれて、ありがとう」 「いくつになってもわたしの大切な宝物です」 最後に。 DEEP代表の佐伯繁に、古瀬美月という人間について訊きたかった。 佐伯は、いう。 「人間としての古瀬美月には、ママとして人生を大切にしてください」 佐伯は、つづけた。 「格闘家としての彼女は、いま現在立ち位置が中途半端になってますが、なにか武器を身につけて盛り上げてください」 実に佐伯繁らしい、嘘のない、優しいエールだった。 そして、古瀬美月に最後の質問をした。 —美月選手にとって家族とはなんですか? 即答だった。 「宝物です」 K-place埼玉道場 古瀬美月 『おいしい格闘技』とは 1982年糸井重里氏は、衣食住だけではなく、ステキな物や心、文化を豊かにする生活を提案した。 それが『おいしい生活』 2020年、コロナが蔓延り私たちの生活は一変した。 いま、だからこそ心と、身体と、生活を豊かにする格闘技に目を向けてみてはどうでしょうか 『おいしい格闘技』はそんな気持ちから始まりました。 【プロフィール】 名前:まよいマイマイ 幼少期に猪木に出会い青春時代は週プロで育った気持ちはプロレスラー。猪木のベストバウトはvs藤原喜明@両国国技館 こちらでは格闘家の前に人間としての魅力をお伝えできたらと思い、彼ら彼女の日々を見つめていきます Twitter: https://twitter.com/maimai_pw

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