拳武練
キッズボクシングに携わり今年で16年目となる。 きっかけは、何気ない口約束だった。俺が20歳の時、同級生の親友が住んでいたアパートの駐車場で何気ない話から、「結婚して息子が出来たら子供にボクシングを教えて欲しい」と。何気ない口約束で、この時の俺は、まだ現役のプロボクサーだった。 ここで、かなりさかのぼり俺のボクシングについて話す。 正直言ってボクサーとして、良い結果は残してはいない。ただ現在に至って長くボクシングをやり続けてきているだけである。 *** 俺がボクシングを知ったのは「がんばれ元気」の漫画からだった。当時、丁度同級生がボクシングに習い始めた話を聞きジムがあるのを知った。すぐにその友達に話を聞いて一緒に通い始めた。12歳の冬休みからだった。片道約7㎞ある道のりを自転車で通っていた。中学3年で一度辞めた。そして、高校生になりまたやり始めた。 そして高校のアマチュアでやり、専門学生の時にプロデビューした。正直喧嘩が強くなりたい気持ちで始めたボクシングだったので、試合に出たいというのもあまりなかった。ジムへ通い続けていて、流れでアマチュアの選手になった。プロもトレーナーの勧めでテストを受け合格した。 あまりボクシングに本腰入れてやるっていう気持ちも無かった。 プロのデビュー戦で、絶対に勝てないって言われていた相手に1RKO勝ちしてから気持ちが変わった。 2戦目で、後のフェザー級日本チャンピオンになった久間大ノ伸だった。 試合1週間前に職場でMRSA院内感染し左足の手術をした。松場杖で歩いていた。キャンセルしたら罰金が発生するので、減量だけしてそのまま試合に挑んだ。玉砕覚悟の一発狙いの作戦も一発良いのが当たるもKO負けだった。 *** 俺が所属していたジムの前会長は、借金をして逃げてしまい当時トレーナーだった人がジムを引き継ぎ今に至る。 そんな状態で俺をプロデビューさせてくれた。少なからず勝って恩返しをしたいと思うようになっていた。 そんな状態のジムだったので、会長には強い相手と試合がしたいとお願いしていた。 勝ったら一気に有名になれるから。 3戦目がダウンを取り、勝てる流れだったがバッティングで倒れたのをダウンにされ、トレーナーが猛抗議するももちろん受け入れられずそのまま試合が終わりドロー判定だった。ちなみにその相手は、次戦で某ジム会長の息子で連勝中の相手に1R KO勝ちをしていた。励みになった。 4戦目は、新人王戦だった。1勝が出場条件だったのでエントリー出来た。初戦の相手は、後の日本ランカーの小本選手で俺を含めて新人戦を全てKO勝ちで新人王になった人だった。ジャブを突きながら相手の攻撃をかわしていたのが気付いたら相手の変則攻撃の距離となり顎を打ちぬかれ3R KOで負けた。1998年5月17日 この4戦目後に専門学生時代から付き合っていた彼女と結婚前提で一緒に同棲を始めた。そして、これを機に職場も給料がしっかりしていて、ボクシングに理解がある福祉施設に再就職が決まったばかりだった。ボクシングに理解があるとばかり思っていたのだがそれは違っていた・・。 面接の時に言われた。試合に出て怪我とかして休まれると困るから引退が条件の内定だった。 そして、次戦も決まっていた。再度新人王戦へのエントリーだった。 お世話になったトレーナー(現会長)の為にも絶対に新人王を獲って一気にランカーになると決めて、初めて本腰入れて本気で練習に取り組み始めた頃だった。 けど、結婚前提で同棲も始めていた。下関から大分に連れてきている。漫画や映画みたいに人生をボクシングに完全には賭ける事は出来なかった。 面接時には、引退する事を約束し就職してしまった。けど、すでに試合の日程は決まっていた。 バレないように減量しながら、就職したばかりで福祉施設の仕事も覚える事が沢山あり必死だった。練習も毎日毎日必死だった。けど当時のジムには、スパーリング相手が居なかった。唯一のスパーリング相手と言えば、その時の練習生に地元最強の暴走族の頭が居た。大分の千代大海と同格で千代大海も同じ年齢だった。そんな同級生が相手をしてくれていたがボクシングは素人だがスキルは凄く高かった。その同級生は相撲部だったので体重差は40㌔以上あった。その同級生しかスパーリングの相手が居なかったが通常のスパーリングでは味わえない危機感が常にあった。これは、これで良い練習となった。 出稽古は、俺の仕事とトレーナーの仕事の関係でなかなか行けなかった。 とにかく最強の同級生と練習をした。 そして試合に臨むこととなった。この5戦目で、勝てたら行ける所までバレないようにやっていこうとも思っていたが心のどこかで「これが最後の試合か」と諦めた所も今となってはあったのかもしれない。これが最後の試合となった。 試合は、先に2R目にダウンを取ったのは俺だった。 ジャブを突きながら距離をとりパンチはほぼもらっていない。 そのまま倒しきれずに最終ラウンドに突入しスタミナが無くなってロープ際でガード越しに連打をもらった。スタミナを少しでも回復させ、連打の後に攻撃する為にガードでもらい温存した。その連打が終わった。すぐにサイドへ移りながらフックへ繋げようとする前になぜかレフェリーに止められた。最初なぜ止められたかわからなかった。相手も呆然としていた。そしてすぐに相手の勝利を告げられた。 *** 未だに夢に見る時がある。これが俺のプロでの全ての試合である。 そして、引退した。仕事もやりがいを感じ始めた。だけどボクシングは辞めなかった。引退したがいつでも試合が出来るように練習はやっていた。 仕事も軌道にのり、一軒家のマイホームも手に入れ、娘も出来た。引退して5年の月日が経ち、親友が4歳の息子を連れて来た。 あの日、何気なくした口約束だった。 今から16年前のこの日からキッズボクシングに携わる運命的な瞬間だった。