rscproducts
「ききて」のジョー 第5回 渡慶次幸平選手|rsc products公式ウェブサイト

「ききて」のジョー 第5回 渡慶次幸平選手

ラウェイファイター・渡慶次幸平

こんにちは!東京店スタッフのジョーです! 「ききて」のジョー第5回のゲストは ラウェイファイタ-・渡慶次幸平選手です! クロスポイント吉祥寺所属。2012年にMMAプロデビュー。29歳で「世界一危険な格闘技」ミャンマーラウェイに初参戦し、2024年2月時点で積み上げた試合数は外国人選手最多の20戦。 ミャンマー、日本での子供支援を精力的に行っている。2023年11月には、TBSの人気番組『クレイジージャーニー』でラウェイの試合とミャンマーでの子供支援の様子が、取り上げられた。 ラウェイ、子供支援、そして後進のサポートについての想いを語ってくれました。 -渡慶次さんが格闘技を始められたきっかけは何だったのですか? 「小中校と野球をやっていて高3の夏に部活を引退した後、暇になってジム行ってみたのがきっかけ。格闘技自体は小さいころから見ていた。当時はボクシングが主流で、畑山選手とか亀田兄弟とかガチンコファイトクラブを見たり、空手やっている友達と空手ごっこしたりしていた。別に喧嘩ばっかりしていたわけじゃないけど、昔から強くて喧嘩にも負けたことがなかったから、『格闘技のプロでもやってみようかな~』って思っていた中、引退したから始めた感じ。 -ボクシングじゃなくてMMAのジムだったのは山本“KID”徳郁選手の影響だったお聞きしました。 「いや、実はボクシングもその前に一回しているんですよ。YouTubeとかでよくある喧嘩自慢ってあるじゃないですか。腕に覚えがあって、勝手にジム乗り込んでスパーリングするやつ。当時、高校の九州チャンピオンがいた。そいつとは地元が同じで、強いイメージが全くなかったんですよ。だから、楽勝だと思って『スパーリングしようぜ』ってボクシングジムに行って、スパーリングしてもらったら、触れずにぼこぼこにされて。『ボクシングじゃねえな』って思ってボクシングはやめた。」 -ボクシングも経験されていたのですね。 「経験っていうか、野球しかしてないやつが軽いノリでジムに行って、九州チャンピオンにぼこぼこにされただけ。それが一番最初かな。」 -そのあと、MMAジムに行かれたのですか? 「そう。K-1見てて、キッド(山本“KID”徳郁選手)さんを知った。細身の選手が多い中、自分と同じように小さくてごつい選手が出ていて。そこから、MMAを見てみて、『これなら俺いけんじゃね』って思った。ジムに入ったあとはボクシングの時と同じノリで、強そうな人にスパー申し込んでぼこぼこにされたり。ぼこぼこにはされたけど、ボクシングよりは手ごたえがあった。頑張れば上達すると思って続けていたら、だんだんとできるようになって。半年くらい経った時に、初めてセミプロの試合に出た。プロの前座でお客さんも入ってテレビ放送もされて反響もあったから、『これだ』と思い、19歳の時に東京に出ました。」 -MMAはやり始めてすぐに強くなれたのですか? 「いや、寝技が出来なかったしそんな簡単ではなかった。寝技になる前にやっつければいいと思っていたけど、そう甘くない。プロデビューもして、打撃には自信があったけど、寝技で抑え込まれて負けたり、寝技を気にするがあまり打撃でもやられたり。勝ったり負けたりだから、ファイトマネーも上がらずバイトして。プロ格闘家だけどプロ格闘家じゃないみたいな状況が28歳ぐらいまで続いた。」 -デビューしてからの約10年は辛い時期だったと思います。格闘技をやめようと思ったことはありましたか? 「辛かったですね。ただ、やめようというよりは、なんでうまくいかないのか悩んでいた。東京出てきて、何者にもなっていないのにやめるのはダサいと思ったし。出来なくなってやめるならまだしも、まだ出来るのに自分の中で見限りを見つけてやめるという考えはなかったかな。」 -29歳で初めてラウェイに参戦し、後にキックボクシングにも参戦するようになりました。それぞれ、きっかけは何だったのですか? 「ラウェイは、ジムの会長が『渡慶次に合いそうだし、やってみて箔をつけて総合に戻ってきたら』という形で参戦が決まった。キックの参戦に関しては、コロナでミャンマーに行けなくなったのが大きかった。あとは、ラウェイのチャンピオンとしてキックボクシングに出れば、話題が作れると思った。別にキックのチャンピオンになるとかじゃなくて、『どーん!』と勢いでっていう感じ。それこそキッドさんのイメージというか。」 -その後はRIZINやプロレスにも参戦。キックの試合をした2、3か月後にMMAの試合があるなんてこともありました。 「コロナ禍でラウェイの試合が出来なくなって、でも試合しないと金貰えないんで。キックしてRIZIN出てプロレスやって。意味わかんないですよね(笑)。」 -そんな選手中々見ない。何かこだわりがあったのですか? 「う~ん、こだわり。。。こだわりがないからじゃないですか。どれも同じ『闘い』でしょって。何をやっても勝つ奴はかっこいいじゃないですか。そこが僕の目指すところだった。戦績も汚れているし、勝ちも負けもある中で、どうやって時代に名前を残すかっていうところで、MMAだけやっていてもダメだろうし、ラウェイだけやっていてもだめ。キック、プロレスもそう。だから、やれるものやって、自分の価値を高めようって思った。文字通り『ヤバい奴』になれるチャンスじゃないですか。」 -そこの分野は誰もいないですもんね。 「そうそう。そこで一番になりたかったって感じですね。実際そこに誰もいないから、一番ですよね。誰もいないので。」 -去年の8月、約2年ぶりにミャンマーでの試合に出場されました。その様子がTBSの『クレイジージャーニー』という番組でも特集されていましたが、久しぶりのミャンマーでの試合はどうでしたか。 「やっぱり楽しかったっすよ。でも、まだまだ緊張感はあるので、10日弱行って一日もまともに寝れなかった。結局落ちてないですけど、『もしかしたら落ちるかもな』っていう緊張がずっとあった。僕が知っている人も今回の内戦で死んじゃっているので、そういうのも重なっていた。」 -今でもかなり不安定な情勢で、試合以外の部分でもプレッシャーがあったのですね。 「そうですね。ただ、まだ何も収まってない時期に行ってこそ意味があった。今行くから『クレイジージャーニー』も密着してくれたと思う。平和の素晴らしさだったり、将来のミャンマーのために行っている活動を発信するチャンスだと思ったので行きました。」 -ラウェイは「世界一危険な格闘技」と呼ばれている、格闘技の中でも異質な存在ですが、初めて参戦した時の心境をお聞きしたいです。 「最初はめちゃめちゃ怖かったですよ。バンデージしか巻かないから目に当たったら失明するし、頭突きもあって、フラッシュダウンもとらない。参戦した選手皆が顔をパンパンに張らしている。実際にいざやってみてその通りになったし。ただ、試合はすごい盛り上がったから、ファイトマネーにプラスでボーナスまで貰えた。それで、『またやりたい。次いつやるんですか?』って試合後に顔パンパンの状態でプロモーターの人に言ったら、その心意気が気に入られて、『続けていれば、絶対スターになるから頑張れ』って言われた。恐怖心はあったけど、そんな言葉言われたら頑張りますよね。」 -去年8月の試合で20戦目。これだけラウェイの試合をした日本人選手はいません。 「自分の中では、頑張るだけ。『頑張る、盛り上がる、金が入る、また頑張る』の繰り返し。ダメージ追うだけというか、ダメージあるけど見返りが貰えるので。格闘技で見返りが貰えるのは僕の中で初めてだったので、凄い楽しかったですね。」 -ご家族がラウェイの参戦に反対することはありましたか? 「どうだっただろうな。あんまり気にしている暇なかったですね。最初の3,4試合は、『このロープをまたいだら死ぬかもな』って思ってやっていた。4試合目までは、前の日に遺書も書いていたし。それは、キックでも、MMAでも、RIZIN出た時でもなかったので、本当に死と向き合って臨んだのはラウェイだけかな。」 -遺書を書くことまであったのですね。それでも参戦し続けるのは、普通の人にはできないですね。 「まあ、お金は入ってくるので。ひどいダメージを負いますけど。試合をすれば、家族と自分が生活できて、子供支援にもお金を回せる。チャンピオンでもなんでもない選手に100万円、200万円が入ってくる。ブレイキングダウンとかは別として、純粋の格闘技ではあり得ないです。あとやっぱり、純粋に楽しい。向いているのが分かったし。僕はどんくさいから、ケアレスミスが多くて、当たって倒れちゃう。でも、また立てる。そんな僕にタイムだったり、フラッシュダウンの無いラウェイは向いているんです。ダウン貰っても、そんなに焦らないし『倒れちゃった』くらいにしか思わないタイプなので。」 -試合する姿から「狂戦士」という異名が着いていますが、戦っている時の心境について教えてほしいです。 「何も考えてないんですよね。恐怖心がないというか。別に楽しくもない。感情は『無』ですね。あとは、生きていることを実感する。」 -その「生きている」という感覚が、渡慶次さんにとってはプラスなのですか? 「そうそう。アドレナリンとか幸せホルモンが出まくってるんだと思う。」 -渡慶次選手の試合は毎回激闘で盛り上がりますが、戦っている本人は「無」だったのですね。 「そうですね。ただ、試合が終わってみると、勝った試合も負けた試合も周りがすごい評価してくれて。3,4戦したら、ダメージがひどくてほとんどの選手が元の競技に戻る。ただ僕は、最初の2連敗から3年くらい負けなかった時に『これだ』って思った。」 -格闘家として食べられなかった期間でも、やめなかったのは何者にもなっていないからとおっしゃっていた。ラウェイで何者かになるチャンスが巡ってきた? 「そうです。僕の代名詞になるものに出会えた感じ。『ラウェイファイターとしてやっていこう』って決心がついた。」 -チャンピオンにもなり、今は「ラウェイファイター・渡慶次幸平」というものが確立されたと思います。それでも「世界一危険な格闘技」を続けているモチベーションは何ですか? 「やっぱり、稼げて話題にもなるし、ラウェイでの目標もある。ラウェイで20戦試合していて、ミャンマー人以外で僕の次に試合をしている選手が10戦くらい。だから、30戦くらいしたら金字塔じゃないですか。20戦でも抜かれないと思うけど、30戦くらいやったら、時代に名が残る。それが今のモチベーションですね。」 -ここからは、ミャンマーでの支援についてお聞きしたいと思います。支援するに至った経緯を教えてください。 「チャンピオンになった次の日に子供支援があると聞いて、一緒についていったのが最初。元々、ミャンマーは貧富の格差がすごい大きいことを知っていた。自分の子供と同じくらいの子たちが、生まれた場所が違うだけで劣悪な環境に晒されている様子を目の当たりにして、感じるものがあった。学校も掘立小屋みたいなところで、壁も無いし床も腐っている状況。先生たちの給料は未払いだから、良い先生もいない。でも、未来のミャンマーを豊かにするのは、今の子供達なわけじゃないですか。格闘技で食えるようにしてくれたこの国に恩返しをしたいと考えた時、ミャンマーを良くするには子供たちを支援することが必要だと考えました。」 -今までどんな支援をされてきのですか。 「今までに、3つの学校の設立に携わってきた。自分が作ったのが2つあって、1つは寄付金で立てた。あとは、孤児院でご飯を配ったり、ビルマ戦争時代の日本人が埋まっている慰霊碑の改修工事といった活動をしてきました。」 -去年の11月には、ミャンマーでの試合と子供支援の様子がTBSの『クレイジージャーニー』で放送されていましたね。 「取材だったり、ニュースにしてもらうことはすごい意識しています。子供支援に注目がいけば、そこから更なる支援の流れができるので。それは、日本の取材に限らず、ミャンマーでも同じ。メイウェザーやパッキャオみたいな、億万長者でもない外国人チャンピオンの僕が、ラウェイで得たファイトマネーを使って寄付することはミャンマーでニュースになる。『なぜそのような活動をするのですか?』というインタビューを受ける度に『未来のその場所を作るのは、その場所にいる子供たちだから』という台詞を毎回言っていると、実際にお金も権力もある大人たちがお金を出してくれる。それを通して、民衆からのパワーが更に集まる。その流れの旗取り役を担っているだけですね。」 -確かに渡慶次さんは試合だけでなく、慈善活動も多く取り上げられています。 「ニュースは自分が作る意識でいます。自分が注目を集めたい場所で、取材しやすい活動をすることでニュースが生まれる。自分がしたことをニュースにしてもらうのではなくて、記者さんやテレビ局がニュースにしたくなりそうなことと自分がやりたいことをうまく合わせる。だから、何かするときも記者さんに、『こういうことするんで、取材してくれますか?』って先に投げています。そう考えるようになってからは、自分の活動がよく取り上げられるようになりました。地上波テレビでの密着特集も3回あったし、アベマでも1回、雑誌の『週刊SPA』でも特集を組んでもらった。どこの媒体も『誰もやっていないことをやっていて、記事や動画にしやすい』という理由で取材してくれました。この仕組みを理解して取り組んでいる人間は世の中にすごい少ないと思う。だから、試合以外のことでもニュースになるんだと思います。」 -去年10月のRIZINでの試合翌日に、対戦相手でもあった井上雄策選手を子供支援に誘い、一緒に行ったのはとても話題になりましたね。 「勝っても負けても、試合の翌日に慈善活動をするのは一番ニュースになりやすいので。井上君以外にも対戦相手を誘って行きました。もちろん、負けた次の日なんて、くそむかつくし、口もききたくないし、顔を見たくない。だけど、格闘技って憎しみ合うものではないので。支援活動を通して、子供たちにサポートが必要であることを発信して注目を集めるせっかくの機会。しかも、こういうニュースが広まるのは格闘技界にとってもプラスになる。僕が嫌な思いをちょっと我慢すれば良い。そんな我慢は屁でもないというか。『負けたやつがへらへら喋ってんじゃねえよ』ってたまに言われますけど、それだけですからね。だったら子供たちが笑顔になるほうが良い。もちろん勝っていきたい。でも負けちゃったんだから。そこは直せないのでしょうがないから、自分ができる一番良いことをやっているだけ。勝ちも負けも転がす。」 -試合翌日に子供支援を行っている背景には、単純な試合の勝敗を超越した部分でのこだわりがあったのですね。 「もちろん全部勝ちたいですよ。全部倒して勝ちたいですけど、勝てないから。負けて『くそ』って言って終わりかというと、それもむかつく。結果的に自分も含めて周りが上がるようなことをやるのが、勝ちも負けも転がすということなので。」 -日本では他にどのような支援をされているんですか? 「去年までは『駄菓子屋渡慶次』という駄菓子を無料で配るイベントを月一回、いろいろな場所で開催していました。10月のRIZINでの試合翌日に井上君と行った活動もこのイベントの一環です。吉祥寺で開催する時は、子ども食堂の場所を借りて開催している。もちろんお弁当食べるのでも十分なんですけど、お菓子貰えて、くじ引きできて、無料で楽しめたら最高じゃないですか。ていう自分の子供のころの夢を形にしている感じ。ただ、去年までで定期的な『駄菓子屋渡慶次』は一回お休みしている状況です。今年は、年に一回吉祥寺で開催される約一週間のハロウィンイベントの参加費を、無料にすることを目指して活動しています。経費とか諸々用意するうえで、一人770円くらいかかってしまう参加費を、全部無料にする。5千人規模なので、400万円ぐらいあれば、全員無料で参加できるようになる。どの子も参加できる最高の一大イベントを作るチャンスなので、そのために今年は一年かけようと思っています。あとは、一日署長をやったり。その中で今では警察とも連携を取れているので、千裕(現RIZINフェザー級王者・鈴木千裕選手)のチャンピオン戴冠パレードをやりたいと思っていて、それも相談中。」 -格闘家のパレードは新しい試みですね!吉祥寺で開催するのですか? 「そう。道を一部封鎖してもらって。でも、ただの戴冠パレードだと警察としても作りずらいから、その時に集まる注目を使って、振り込め詐欺とか還付金詐欺の啓蒙活動を僕らが行う。セットでやるとなったら、協力してくれると思うんですよ。それをさらに、新聞記者さんとかテレビ局、RIZIN広報に一斉に流せば、僕らが作りたいニュースが広まる。迷惑系ユーチューバーがただ話題作りのためにやっているものとは全く違う、本当に世の中に必要なことを作って流せるっていうのは、僕としては凄く完成系に近いです。」 -とても素晴らしいイベントですね。楽しみにしています!このような、日本での子供支援や慈善活動はミャンマーでの支援から派生したのですか? 「一緒ですね。未来の日本、未来の吉祥寺を作るのは今の子供たちなので。自分が将来死ぬ時に今より良い世の中を見たいので。嫌じゃないですか?自分が死ぬときに日本が戦争していたら。」 -嫌ですね。特に渡慶次さんにはお子さんがいらっしゃいますしね。 「そうそう。今より良い世の中になっていてほしいから、子供を支援する。お金もそこにかける。スポンサーマネーで生活できるようになったので、ファイトマネーはほぼ全額寄付しています。ジムで教えるトレーナーとしても、こういう支援活動をする人が増えたら良いなと思って教えています。」 -ラウェイに参戦するまでは、格闘技では生活できず、とても辛い時期だったとおっしゃっていました。そのような10年間を経た後に、自分以外のことにお金を使える人はとても少ないと思います。 「やってみたら分かるんですけど、すごい楽しいし充実するんですよ。今だとSNSも普及していて、1つ良いことをすると結果的に100ぐらい皆が受け取ってくれる。あとはやっぱり、『今より良い状態にして死ぬべき』という思いが強い。戦争の時代、あれだけ落ちぶれた日本で、僕らは今平和に暮らせている。当たり前に鉄筋コンクリートの学校があって、机があって、給食があって、勉強ができる。小中は無料で高校もすごく安く通える。ここまでパスしてくれた先人がいるから、自分たちもまた繋いでいくのは自然な考え。実際に格闘家で寄付する人はすごい増えたと思います。一番近いところで言うと、千裕もそう。『格闘技でたくさん稼いだ奴は寄付する』みたいなムーブメントが出来たと思う。すごい素晴らしい世の中になったと思うので、一人でも多くの人が同じような考えになれば良いなと思いますね。それが僕の当初掲げていた『何者かになりたい』という目標をかなえるための近道かな。」 -日本の現状が当たり前でないことを、ミャンマーを通して実感したのですか? 「そうですね。あとは、ラウェイで何回か死にかけているので。他の人より日常でも死と向き合うことが多いと思うんですよ。今日ジムから帰る時に車に轢かれて死ぬかもしれないし、今地震にあって死ぬかもしれない。例えば、家まで10分のところで息子が『喉が渇いたからジュースが欲しい』と言ったら、『買わなかったらこの後車に轢かれて喉が渇いたまま死ぬかもしれない』とか考えてしまう。じゃあそれくらい買ってあげればいいなと。そういう、死への意識が根本的に強くあります。」 -ラウェイで死に直面したからこその考えなのですね。 「ラウェイをやるまでは、今思えば適当でした。一生懸命やっているんだけど、普通ですよね。『来年にこれやればいいや』『明日頑張ろう』とか。何者かになりたくて出てきたはずなのに普通の人だった。」 -ラウェイの参戦はそういう意味でも転機だった。 「そう。本当に人生を変えてもらったので、恩返しをしたい。子供がより強力に支援してもらえば、強い国になる。ラウェイを通して、死を意識するようになってから僕は変わることが出来た。今年から障がいを持っている子を預かる学童の運営をしようとしているんですけど、そういう活動をする中でお金や支援が集まってきます。ある程度集まったら、40歳からは『死を意識する』保育園をやりたいと考えている。『死を意識する』と言ったら集まらないし、なかなか難しいけど、そういったことを教えていく保育園を作りたい。 -ラウェイで渡慶次さんが変わったように、子供たちにも教える場所を作りたいのですね。 「はい。今35歳で、ラウェイに出場して思考法がうまく回り始めたのが29歳くらい。だから、35年生きていてまだ6年。この6年を、0歳から6歳にあてれたら、すごい成長すると思う。ちょっとやそっとじゃへこたれない、自分の目標に向かって突き進める子。人を下げて自分を上げるんじゃなくて、『皆でより良くしていくんだ!』っていうパワーを持ったすごい強い子になると思う。その中の一人が千裕だし。あいつが15,6歳くらいの時から、二人とも何物でもなかった時から一緒にいる。そこから、僕がラウェイを始めて食えるようになって、子供支援する姿を全部見ている。だから、まだ24歳だけど、すぐ子供支援にお金を投げるし、子供たちを笑顔にする。RIZINのチャンピオンがそういうことするから、目立ちますよね。格闘家が子供を支援する流れの一端を担わしてもらえているのは、自分の生きざまが残るし、そんなに誇り高いことない。これを死ぬまでやります。」 -形は変わろうと、ずっと支援し続けることが「何者かになる」ということなのですね。 「そう。格闘技を通して、子供たちを支援して、より良い日本とミャンマーを作る人生です。今回は。生まれ変わったら何やるか分からないけど、今回の人生はそう。」 -ここからは、これからのキャリアについてお聞きしたいです。10月のRIZINの記者会見で、一度MMAを引退されるとおっしゃっていました。これからは、キックとラウェイを中心に考えているのですか? 「会長とも話して、ラウェイだけで良いかなという感じ。キックもやったし、MMAもやったので。いかんせんダメージがひどい。年間5,6試合を6年間ぐらい続けていたので、休憩ですね。この間のRIZINの倒れ方も危なかった。休憩して、ダメージが回復するなら、復帰するかもしれないし。別に引退して復帰しちゃダメなんて法律ないんで、行けると思ったらやります(笑)。」 -ラウェイに出場する場合は、やっぱりミャンマーで試合したいですか? 「ダメージもあるし、それ以外に難しいところもあるので。まあ、出来る範囲で格闘技はやりながら子供支援を強烈にやっていこうかなって思います。」 -これからの格闘技のキャリアで成し遂げたいことを教えてほしいです。 「やっぱり戦う試合は全部KOで勝ちたい。まあ、チャンピオンになるというか、現役バリバリの連戦連勝している選手と戦うポジションにはいないと思っている。『渡慶次とこいつが戦ったら面白い』っていう選手を用意してもらって、勝つか負けるかを見せる。その中で稼いだお金、集めた注目を使って子供支援をする。子供支援するために生きていくって感じですかね。子供支援ではさっき言った保育園。形は違えど、吉田松陰の松下村塾みたいなものを作りたい。自分の保育園から総理大臣が出たら超嬉しいじゃないですか。というバカみたいな夢です(笑)。そいつが日本を変えてくれたら『ああ、俺生まれてきてよかった。』って思える。それが夢っちゃ夢ですかね。」 -壮大な夢ですね(笑)。それこそ、RIZINの記者会見では、後進のサポートや次世代の育成もしていきたいとおっしゃっていました。 「千裕もそうだし、その下の子もそう。サポートを変わらずやっていきたい。輝いてほしいと思ったらジム関係なく支援するし。いかに家族の生活を崩さずに支援を続けられるかっていうのは、僕の頑張り次第だと思うので。そういう意味で頑張りたい。貧乏してまでは、人を助ける必要はないと思うので。溺れている人を助けに行って溺れてしまってはダメなのと一緒で、支援できる人が支援すればいい。家族が幸せに暮らせる範囲で人を助けて、もっと多くの幸せを作りたい。」 -後進のサポートも子供支援も一緒なのですね。 「一緒ですね。僕みたいな考えを持った若手がチャンピオンになるのが、一番良いということが千裕で分かった。だから、同じような若手が出てくればもっともっと良くなる。チャンピオンになって、お金を稼いで、支援をする。格闘技界の価値が大きく上がると思う。」 -普段から、プロ選手もアマチュア選手も、そしてキッズにも練習を教えていると思います。どんなことを意識して教えていますか? 「僕がこんだけ失敗しているので、もちろん勝ったら嬉しいですけど、負けても『またやればいいじゃん』っていうマインドになるように皆を教えている。」 -技術とかはもちろんそうですけど、考え方もとても大事にされているんですね。 「そうそう。どっちかっていうとそっち。もちろん全部勝つのが良いんだけど、負けたら終わりかっていうとそんなことない。負けたやつなりの輝き方もある。そうすると挑戦した皆が輝けるじゃないですか。そういうことを自分がセコンドに着く選手には教えていますね。」 -ジムのトレーナーとしての目標は何かありますか? 「もう千裕が達成しちゃった。RIZINチャンピオン。千裕がUFCチャンピオンになるのを見るとかですかね?でも、それはもうおまけというか。格闘技に関しては、千裕みたいなマインドを持った選手が一人でも多く増えれば良いな。チャンピオンじゃなくても良いから。」 -最後にRSCについてお聞きしたいです。出会いは覚えていますか? 「出会い何だったかな。。。たしか、2020年か2021年からサポートしてもらっている。元々『ボクシングブランドといえばRSC』というイメージだった。そんな中、RSCが商品提供してサポートしてくれるってなって関係が始まった。RSCの契約って書面で結ばないじゃないですか。だから時期が抜けちゃっているんですよね。」 -それ以来ずっと関係が続き、今年も契約更新をしていただくことが出来ました。 「商品提供してもらって、僕は今年も商品を着て練習して活躍する。あと、SNSだったり試合会場で発信してもらうのはすごいありがたいですね。」 -お気に入りのアイテムを教えてください! 「ボックスバッグはずっと使っています。あとはこのナイロンのショートパンツ。すぐ乾くし脚周りが広くて動きやすいので、重宝しています。タイソンのパーカーは毎日練習に着ていくから、もう着れなくなっちゃった。」 -最後にインタビューを呼んでいるファンへ一言、お願いします! 「これからも命を燃やして輝くので、RSCと共に渡慶次幸平をよろしくお願いします。」 「何者でもなかった自分」を変えてくれたミャンマーとラウェイ。そして、ラウェイに出会い、恩返しとして始めた子供支援。ぼろぼろになりながらも日々邁進する様子と静かな口調から語られる強烈な想いがとても印象的でした。 渡慶次選手、インタビューありがとうございました! インタビュイー/渡慶次幸平 1988年6月4日生まれ。沖縄県出身。パラエストラ吉祥寺所属。ラウェイファイター。2018年にラウェイチャンピオンに輝く。 Instagram https://www.instagram.com/tokeshikouhei?utm_source=ig_web_button_share_sheet&igsh=ZDNlZDc0MzIxNw== X(旧Twitter) https://x.com/tokeshikouhei?s=20 インタビュアー/ジョー <PROFILE> 2022年11月から東京店にて勤務。 大学3年生。ボクシング歴1年。応援している選手は、RSCサポート選手と藤田炎村選手。 大学入学後プロボクサーを志してボクシングを始める。ジムでRSCを知り、活動に惹かれアルバイトを始める。 渡慶次幸平選手おすすめアイテム ボストンバッグ https://shop-rscproducts.com/?pid=92400732 RSCロゴ刺繍ナイロンショーツ https://shop-rscproducts.com/?pid=160481828 “TATOO”スウェットパーカー https://shop-rscproducts.com/?pid=156956552 🛍オンラインショップ https://shop-rscproducts.com/ #rscproducts #boxing #kickboxing #fashion #apparel #ボクシング #キックボクシング #プロレス #格闘技 #ファッション #アパレル #東京 #水道橋 #後楽園ホール#渡慶次幸平 #ラウェイ

「ききて」のジョー 第5回 渡慶次幸平選手 画像1-1|rsc products公式ウェブサイト
「ききて」のジョー 第5回 渡慶次幸平選手 画像1-2|rsc products公式ウェブサイト
「ききて」のジョー 第5回 渡慶次幸平選手 画像1-3|rsc products公式ウェブサイト
「ききて」のジョー 第5回 渡慶次幸平選手 画像1-4|rsc products公式ウェブサイト
「ききて」のジョー 第5回 渡慶次幸平選手 画像1-5|rsc products公式ウェブサイト
「ききて」のジョー 第5回 渡慶次幸平選手 画像1-6|rsc products公式ウェブサイト
「ききて」のジョー 第5回 渡慶次幸平選手 画像1-7|rsc products公式ウェブサイト
「ききて」のジョー 第5回 渡慶次幸平選手 画像1-8|rsc products公式ウェブサイト
「ききて」のジョー 第5回 渡慶次幸平選手 画像1-9|rsc products公式ウェブサイト
「ききて」のジョー 第5回 渡慶次幸平選手 画像1-10|rsc products公式ウェブサイト