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「ききて」のジョー 第2回 内藤律樹選手|rsc products公式ウェブサイト

「ききて」のジョー 第2回 内藤律樹選手

オーストラリアでの新たな挑戦

こんにちは!東京店スタッフのジョーです! 「ききて」のジョー第2回のゲストは E&Jカシアス・ボクシングジム所属、第45代日本スーパーフェザー級王者、第40代OPBF東洋太平洋スーパーライト級王者の内藤律樹選手です! 2023年からオーストラリアへ活躍の場を移した内藤選手。一時帰国中の内藤選手に日本でのキャリア、カシアスジム、RSC、そして新しい地での挑戦に対する思いなどを語ってもらいました。 -ボクシングをはじめたきっかけについて教えてください。 中1の終わりに親父がボクシングジムを作ったのがきっかけ。学校から帰る場所がジムになって、始めたいから始めたというよりかは、学校から帰ってきて暇だし練習するようになった。 -お父様はボクシングの名チャンピオン。それまではボクシングやろうと思わなかったのですか? 野球やってたし、全く考えてなかった。世界戦何回か見たり、控室まで入れてもらったりしたこともあったけど、始めようとは一切ならなかった。最初は中学生だし遊ぶ感覚でやってたかな。スピードボールが大好きでそればっかやってた。弟はいたけど同い年もほどんといなかったね。 -お父さんにはよくミット持ってもらってたんですか? たまにね。親父とは中学生のときにやってた面白い遊びがあって。親父とマスで一発当てたら500円。これをほぼ毎日やってた。 -当たるんですか? 三日に一発くらいかな。それで500円もらえるから中学生の俺からしたらおいしかった(笑)。 -始めてからすぐ強くなりました? いや、なんなかったんじゃないかな。最初の一か月はジャブしかやってない。そっからストレートちょっと教わって、2か月半で試合に出させられて。 -ジャブストレートだけで?(笑) そう(笑)。 -試合は勝てたんですか? その時はまだキッズボクシングに判定がなかったんだけど、手ごたえはめちゃめちゃあった。相手は2年やってて、お兄ちゃんボクサーっていう情報入ってたけど、鼻血ブーブーにさせて、相手も泣いてたね。 -そこで楽しさに目覚めた? それがすげー嬉しかったのとボクシングの「すべて自分に返ってくる」面白さを感じた。その時野球部で部長やりながら並行してボクシングやってたんだけど、部長になって初めて試合に負けたとき、負けたのに周りは「まあ次がんばろうぜ」ぐらいにしか考えてなくて。ボクシングと野球並行してやってた最初のほうは野球のほうが好きだったけど、ボクシングで試合に出始めてからは「自分に全て返ってくるほうが面白いな」って思うようになった。 -高校では三冠達成の輝かしいアマチュアキャリア。 ただ、一年生は特別強いっていうわけではなかったね。最初の試合は30秒くらいでRSC勝ちして、「余裕じゃん」って思ってたけど、関東大会、高校5戦目で初めて負けた。そのあと、IHも出たけどぱっとしなかった。2年の時はIHの直前に交通事故起こして出られなかったりもした。ただ、俺が2年生の時に一個下の井上浩樹が国体で久しぶりに神奈川から優勝した。それが悔しくて悔しくて。それからめちゃめちゃ気合い入れて練習したね。ロードワークも一回もしたことなかったけど始めて。それでその後の選抜で優勝して、IH、国体と続いて三冠達成できた。 -どのあたりでプロを目指し始めるんですか? 中学生の頃から。プロになりたかったし、プロともスパーリングしてた。高校も最初は行く気なかったんだけど、親父の「アマチュアでタイトルを獲ってから」っていう条件があったから通ってた。俺の高校はボクシング部無い定時制高校だったから、朝から夕方前まで働いて、そのあと学校行って、9時くらいからジム行ってた。 -そんなにハードな生活だったんですね。 確かにハードだったね。でも、11時ぐらいから朝の3時くらいまで遊んでたな(笑)。それで6時、7時に起きて働きに行くっていう繰り返しだった。だから早くタイトル獲って高校辞めたかった。 -プロ転向後は三冠だったり、お父さんが名チャンピオンということもあってかなりプレッシャーが強かったというイメージがあります。 それよく言われるんだけどなかったな。試合が組みずらくて面倒ってのはあったけど、親父の名前が重圧になったことはない。親父は親父。俺は俺で関係ないなと。自分が世界チャンピオンになりたいからやってた。 -プロキャリアで一番印象に残ってる試合について教えてください。 伊藤戦かな。試合中とか直前はあまり覚えてないけど、試合決まってからのトレーニング期間はめっちゃ覚えてる。当時伊藤選手も勢いあって、カウンターもうまかった。俺はその時カウンターうまい選手が苦手だったから、どうカウンターとられないようにするかとかめっちゃ考えてたね。あと、中国のバイシャンボ戦。6Rまではベストに近いパフォーマンスだった。コンディションも良かったしとにかく調子よかった。ただ、スパーリングでスタミナ切れたこととかなかったのに、なぜか7、8R失速して。そこでリカバリーについて考えるきっかけになった。 -ここからはオーストラリアについて聞かせていただきます。なぜオーストラリアに渡ったのですか? 去年の10月に今所属しているジムの選手にスパーリングパートナーとして呼ばれたのがきっかけ。そこで1か月弱生活して、肌でよいなと感じた。あとチャンスを貰えそうだったのも大きい。PBC、トップランク、マッチルームっていう世界的に大きいプロモーション会社があって、そこに関わりたいなと当時考えていた。で、オーストラリアに行ったときにマッチルームの代表のエディ・ハーンに会って話すことができた。それで、「日本じゃこんなのありえないぞ」と。人生一度きりのチャンスだと思ってオーストラリアへ行くことを決心した。 -もうオーストラリアでの生活には慣れました? 環境自体はなれたね。ただ英語は全然わからない(笑)。ちょっとずつちょっとずつ、人生で初めて勉強している状況だね。ただ、伝えるのはなんだかんだいける。単語とジェスチャー使えれば伝えるのはそんなに難しくない。ただ、聞くのがとにかく難しい。ごにょごにょ喋るやつとか、なまってるやつはほんと何言ってるか分からない(笑)。 -特にオーストラリアは訛りもあると思うので大変ですね(笑)。 でも、”Good day mate.”(オーストラリア人が良く使う挨拶)ばっか言っとけば仲良くなれる(笑)。だから、金岡さんにカタカナで「グダイマイ」って書いたTシャツ作ってもらいたい(笑)。それ配ったらあいつら絶対喜んでくれる。 -それは喜ぶでしょうね!インスタからもジムの良い雰囲気が伝わってきます。 ジムの雰囲気はめっちゃいい。それも行った理由の一つ。スパーリングパートナーとして渡った時、オーナーが「うちのジムは子供もアマチュア選手もトッププロも上下はない。みんな家族。」って言ってて、それも大きかった。 -中学生の子とも仲良くしてる写真とかも見ました(笑)。 だって、中学生の女の子がふざけて中指立ててきたりすんだよ?で、俺も返して(笑)。こないだ久しぶりにフェイスタイムしたら、アマチュア選手たちが試合会場に向かうバスの中にいて、みんな俺に中指立ててた(笑)。 -日本のジムだったらあり得ないですね(笑)。オーストラリアではジムに住んでいるのですか? そう。ジムの二階に住んでる。二階がキッチンだったり、シャワーも風呂もあって。一階にも小さい部屋があるからそこで生活してた。家賃も光熱費も払わなくていいからすごい助かってる。 -海外のジムは本当に大きいですよね。 日本のジムの5、6倍は大きいね。サンドバッグ約20機、バイク約20台、リングも3つあるし、筋トレの施設も充実してる。それで会員数も少ないし、月謝も安い。一か月6000円くらいで済むかな。 -休日は何をして過ごすんですか? 地元の小さいラグビー見に行くことがほとんど。これが本当に面白くて。ジムがスポンサードしてて、ジムの選手も何人か所属しているチームがあるんだけど、週末になると見に行って応援するのが楽しい。みんなステーキとバーガー食って、ビール飲みながら見てる。雰囲気がとにかくいい。オーストラリアは地元のつながりが大きい。だから、一人で遊んだり観光することはほとんどなかったな。日曜はラグビー行くか、アマチュア選手の付き添いがほとんどだったね。 -練習はハードですか? ハードだね。特にバッグの日がきつい。 -サンドバッグの日が決まっているんですか? そう。月曜がバッグ、火曜と木曜がミット、水曜と金曜がスパーリング。ワイルドカードジム(ロサンゼルスの名門ジム)とかもそうだったけど、海外は決まってるジムが多い。決めるとどこで回復すればいいかとか、準備とかもしやすくて良い。 -どの曜日が一番しんどいですか? ミットが一番楽でバッグが一番きつい。20Rやったこともある。 -20Rもやるんですか!? 基本は10なんだけど、たまにあってあの時は死ぬかと思った。やっぱみんな見てるし、試合のようにやらなきゃいけない。トレーナーが決めるんだけど、8とかだと「ラッキー」って(笑)。ミットの日はスパーの前にあって回復する日になってる。俺の場合土曜日は、長い距離のランニング。 -スパーリングパートナーに困ることはありますか? 出稽古は1時間くらいかけて行かなきゃいけない。ただ、同じジムの10月にスパーリングパートナーとして呼んでくれたスティービー・スパークっていう選手はめっちゃ強い。3敗してるけど、相手によっては世界チャンピオンになれるぐらいの実力。 -オーストラリアへ行き、スタイルが変わったりしました? みんなに変わったって言われるね。とにかくしっかりパンチを打つようになった。日本帰ってきてスパーをしていると、日本の選手は小賢しいうまさがあるけど、パンチは無いなって感じる。だから、あまり怖さは感じない。うまさはあるけど。 -オーストラリアの選手は基本に忠実な選手が多いイメージがあります。 そうね。あとパワーとガッツがあるイメージ。イギリス圏特有の綺麗なボクシングがあって、その中に島国らしいパワフルさがあるイメージ。あとフィジカルもめちゃめちゃ強いね。 -確かにフィジカルはすごそうですね。一人とんでもない巨体のトレーナーいますよね。 いるね。あいつはまだ24歳でチーフトレーナーやってる。面白いキャリアしてて、プロキャリア一切なくて、16歳からからトレーナーをやってる。12歳ぐらいからボクシング始めて、4年やってトレーナーとしてやってくことを決めたらしい。 -16歳からトレーナーを始めたんですか?そんなキャリア初めて聞きました。 そう。すごいうまいよ。何よりボクシングが大好きだから信用している。ボクシングが大好きっていうのは、俺がトレーナーをやってもらいたいと思う時の条件。ただの仕事としてとらえてない人。試合ある日曜とかはそいつから連絡来て、パブに試合見に行こうぜって連絡くる。 -オーストラリアではボクシングは人気なんですか? 今めちゃめちゃ人気なのよ。コロナ化でテニスとかF1とか全部止まったけど、ボクシングだけは止めなかったらしい。それで、客もスポンサーもボクシングに一気に集まってきた。 -確かに、今ティム・チュー選手とかもすごい人気ですよね。 チューはラジオとかつけてると一日に一回は出てくるくらいめちゃめちゃ人気。今オーストラリアではボクシングがすごい勢いがあるね。 -オーストラリアの試合は会場がとにかく大きくて、盛り上がってるイメージがあります。 確かに会場は広いね。あとはイギリスと一緒で、レストランみたいにテーブル席があるところで、リング設置してみんな飯食って飲みながら見てる。スポンサーが飯食ったり飲みながらショーを見てる感じ。 -エンターテイメント性が強いんですね。 そう。日本の「応援している選手を見に行く」感覚じゃない。皆楽しみながら見てるね。 -試合が何回か流れてしまった。なかなか決まりにくいですか。 決まりにくい。日本だったら、強い外国人を呼んで、そいつを倒す日本人を見たいじゃん。でもオーストラリアはとにかく自国の選手が勝つところを見たい。だから大きい試合は別として、強い外国人なんか呼ばない。勝てる選手を呼びたい。だから俺の場合、「内藤律樹は スティービーと良いスパーをした」っていう評判が出来上がっちゃって、組みにくい状況。この間流れた試合なんか、試合前になって相手が渋ってると。だから同じプロモーター所属のアマチュア5連覇くらいしている選手のところへスパーしに行って、ぼこぼこにできたけど弱いふりをしてた。スパー中、トレーナーに「俺これ以上うったらだめだよな?」とか言って(笑)。トレーナーも「もう打つな」って言ったりしてた(笑)。 -試合組むのも大変ですね。日本の試合は追ったりしているのですか? 気になる試合だけだね。タイトルマッチとか。日本にいるときは、4回戦とか、それこそ海外の選手とかまで見てたけど、今はほとんど見ない。意識するのもオーストラリアの選手。こっちでのキャリアに集中している。 今のボクシングでの目標は何ですか? 日本から出て、海外で、オーストラリアでスターになること。日本人なのに俺のことオーストラリア人全員が知ってるみたいな。 -ここからカシアスジムについて聞いていきたいです。今はジムでどんな役割を担っているのですか? マッチメイクと、あとは練習見たり。他のマッチメイカーに連絡とったり、母ちゃんがマネージャーやってるから相談しながらやってる。オーストラリアにいてもそこは続けている。 -難しいと思うことはありますか? めちゃめちゃ難しい。特にオーストラリア行ってからは選手を実際に見れてないから、そいつの熱量とかが分からないっていうのはある。 -将来期待の選手はいますか? 高校生の大澤陽かな。インターハイは出れなかったけど、トップレベル。 -選手に教える際に意識していることはありますか。 たくさん言いすぎないことかな。一個課題見つけて、それを「練習しなきゃ」っていう意識ができるまでに早い人でも一週間はかかる。それを練習しようと認識するまでだけに。そっから習得するまではもっとかかるのに、いくつも伝えてたらパニックになっちゃう。あとは、アマチュアの選手は、特に1試合目は絶対に勝たせてあげたい。負けるととにかくつらいから、勝つことの楽しさを教えてあげたい。2戦目以降は、負けから学ぶこともたくさんあるからいいんだけど、特に1試合目は勝たせてあげる。だから、そういう状況で試合をさせるようにしてる。 -最後にRSCについて。RSCとの出会いについて教えてください。 高3の奈良インターハイの時にRSCが出店していて、「かっけえ」って思って、「優勝したら買いに行きます」って金岡社長に行ったのが出会い。 -それで見事優勝!かっこいいですね。 それで行ったら、「代金いらないから、お父さんの写真をくれ」って金岡社長が。それが出会いだね。 -14年前にそんなストーリーがあったんですね。お気に入りのアイテムとかありますか? 今着ているHeavy TシャツとTiger Tシャツとか最近好きかな。(是非下記のリンクから!)あとは、シンプルなロゴパーカーとか。あとRSCの黄色が好きなんだよね。 -最後読んでくれているファンに一言お願いします! 俺の第二の人生これから始めるから、楽しみにしといてください。みんなができないこと絶対やるから! 予定時間を1時間過ぎてもインタビューに答えてくれた内藤選手。選手だけではなく、トレーナー、マッチメイカーとしての姿がそこにはありました。新しい地で、オーストラリアでスターになるべく挑戦する姿がとても勇敢に映りました。オーストラリアでの第二の人生、応援よろしくお願いします! リッキーさん、長い時間ありがとうございました! インタビュイー/内藤律樹 <PROFILE> 1991年7月31日生まれ。年齢 32歳。神奈川県横浜市出身。第45代日本スーパーフェザー級王者。第40代OPBF東洋太平洋スーパーライト級王者。E&Jカシアス・ボクシングジム所属。所属ジムの会長で元日本ミドル級王者のカシアス内藤は実父。2023年からオーストラリアへ渡り、新天地で勝負に出る。 インタビュアー/ジョー <PROFILE> 2022年11月から東京店にて勤務。大学3年生。ボクシング歴1年。応援している選手は、RSCサポート選手と藤田炎村選手。大学入学後プロボクサーを志してボクシングを始める。ジムでRSCを知り、活動に惹かれアルバイトを始める。 「ボクシング・格闘技が好きでつながる空間」を目指し、毎週土曜日東京店にて勤務しています。 是非遊びに来てください!東京店でお待ちしております! Instagram https://instagram.com/ricky0731?igshid=MzRlODBiNWFlZA== 🛍オンラインショップ https://shop-rscproducts.com/ ⭐️内藤律樹選手お気に入りアイテム Heavy Tシャツ https://shop-rscproducts.com/?pid=168230416 #rscproducts #boxing #kickboxing #fashion #apparel #ボクシング #キックボクシング #プロレス #格闘技 #ファッション #アパレル #東京 #水道橋 #後楽園ホール#内藤律樹

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